お電話でもお気軽にお問い合わせください
北海道生産性本部は、わが国が戦後の混乱から立ち直り、高度成長時代に入った昭和35年に設立され、これを契機に北海道における生産性運動も本格的にスタートし、着実な成果をおさめつつ、ここに30周年を迎えるに至った。
この間、わが国経済は重化学工業を中心に驚異的な発展を遂げ、世界の先進国の仲間入りを果たした。この時期における生産性の向上は、他国に例を見ないほどのものであり、この高度成長に果たした生産性運動の役割は多大なものであった。第一次石油危機後、わが国は高付加価値の加工組立型産業、先端技術産業をリーディングインダストリーとして展開させ、産業におけるFA化をも積極的に取り入れて企業経営の合理化を進め、安定成長へのソフトランディングに成功した。
北海道は、わが国の高度成長時代に、エネルギー転換による石炭産業の衰退、重化学工業化の立ち遅れ等による地盤沈下を経験し、第一次石油危機後は、構造不況の影響を強く受けたが、そのような厳しい環境のもとで、産業構造の高度化、新技術の導入に努力を重ねてきた。これを可能にしたのは、生産性向上こそが困難な状況を乗り越える基本であるという信念が労使双方に共有されていたこと、環境変化に適応しうる柔軟な思考や、それを培った安定した労使関係が存在したことによる。生産性運動は、こうした労使関係の確立に少なからず寄与してきた。
1980年代以降、わが国の世界経済に占める位置が高まるとともに、東京が国際金融市場の中心の1つとなったこと、更に情報化、国際化、経済のソフト化がこれに加わって、経済的中枢管理機能の集中が一層激化し、中央と地方の格差が再び拡大することとなった。しかしながら地方では、地域の独自性に根ざした経済活性化が求められており、地域経済に果たす生産性運動の役割は、一層重要になる。
1990年代の世界経済は、ボーダーレス化が進むと同時に、一方では米加自由貿易協定による北米大陸の一体化、東欧の自由経済体制への転換、1992年に予定されるECの統一等、ブロック化も進行する。このような状況において、わが国経済が安定成長を持続していくためには、高い技術力、高い生産性、安定した労使関係の維持、公正な成果配分がますます重要になる。また、わが国経済の世界における位置を考慮するとき、秩序ある企業の行動が一層求められるのであるが、そのために労使の果たす役割は大きい。一方、新たな国づくりをめざす東欧諸国やアジアの発展途上国に対し、技術や経営のノウハウ、安定した労使関係等、生産性運動がこれまで築き上げてきた成果を、積極的に移転することも、これからの生産性運動の役割である。
高齢化社会の本格的到来を迎え、福祉問題、年金問題等が一層深刻化するなかで、適正な負担のもとにこの困難を乗り越えていくためには、女性の職域拡大、定年の延長、中高年齢者の能力開発と雇用機会の確保が必要となる。また、世界の先進国がすべて労働時間の短縮を進めているなかで、ひとりわが国のみが長時間労働を維持しつづけることは、国際的にも認められない。ゆとりある生活を実現するためにも、生産性と両立しうる適正な労働時間、良好な労働環境を労使協力して求めていかなければならない。
1990年代を、地域的視点、全国的視点、グローバルな視点に立ってみた上で、われわれは生産性運動の目標を次のように定め、その達成を期そうとするものである。
平成2年8月24日
北海道生産性本部